カレン・ホーナイ著『自己分析』の要約

以前の記事で、『自己分析』という本を取り上げました。
今回はこの本について詳しく述べていきたいなと思います。

メンタルの問題というのは、きっかけとなった外的要因はあったとしても、基本的にはその人のこころに本当の原因があると、臨床心理学では捉えられています。

患者自身が自分を理解し、行動や考えかたを変えていけば、メンタルの問題は少しずつ解決していく。自己分析はその解決法のひとつです。

でも、著名な精神科医カレン・ホーナイにとって、自己分析は、抑うつ症や恐怖症などの障害に苦しんでいる人だけではなく、

・人生にうまく対処できない
・自己内部の何かが自分を抑制している、または対人関係をだめにしている

と、感じている人にも必要だといいます。
また、本書に出てくる女性患者のように、いつも恋愛に悩む女性にとっても有効かもしれません

自分で考え方や認知の悪い癖に気がつくと、自分の生き方ができる。
「自分の生き方」とは、その人の生活や人生から与えられる恩恵や苦しみを自分の能力向上に使うことができる、という生き方なのです。

19世紀の著名な心理学者カレン・ホーナイが書いた著書『自己分析』では、本書中、ホーナイ の患者クレアの自己分析が紹介されます。

自分の感情や夢の掘り下げ方、それにまつわる自由連想の方法が、事例としてとても分かりやすく書かれているので、とても参考になります。

ちなみに私は、2021年に2回目のうつ症状が出たとき、初めて読みました。

6年前はうつ症状が消失するまで1年半かかりましたが、今回はこの本のおかげで、半年ほどで、症状がほぼ消えました。
ホーナイが生きていたら、感謝のメールを送っていますね。

 

目次

カレン・ホーナイとは


カレン・ホーナイは、1885年ドイツ生まれ。
アメリカで活躍した精神科医です。
精神分析の祖であるフロイトの流れを汲むフロイト派であったものの、フロイトの男性主義の考え方に異を唱えた人でした。

ちなみに、フロイト派の精神治療とは、精神科医が患者の無意識をカウンセリングで読み解き、それを患者に伝えることで、患者は自分を知り、結果的に病気を克服するという方法です。
ここで問題なのは、医師(もしくは分析家)の立場が絶対的に強いこと。なので、患者がたとえ医師の解釈を否定しても、医師の言葉が正しいとされてしまうのです。

「強者である医師が、あまりに男性的であれば、女性患者が正しく理解されているとは思えない」
ホーナイはそう強く指摘し、女性の精神科医として積極的に活動し著作も複数残しました。

19世紀に生きた人というと、とても遠い感じがしますが、ホーナイの著作を読むと、20世紀後半の人では?という印象です。
なぜなら、彼女のクライエントである女性の悩みは、そのまま現代の恋愛ドラマに使えそうな話なのです。女性の考え方や認知のしかたは、この200年以上、あまり変わっていないのだなと思ってしまいます。

その点については、またのちほど。

 

自己分析のおおまかな概要

では、どうやって自分の癖を知るのでしょうか。
それは「自由連想」といって、自分が気になった感情や夢から、次々と自由に連想していくのです。
その連想のなかで「私っていつもこういう考え方をしていないだろうか」「あのとき、本当は、こう感じてたんだ」と、自分を知っていきます。
その全体を「自己分析」と呼ぶのです。

ですが、夢や感情を自分で追求していく方法は、できるようでなかなか一人ではできません。
そこで、ホーナイは、一人の女性患者クレアの実例を紹介します。

クレアは、自己分析に関心のある人たちにとっては共感しやすい事例かと思います。
自分に異常なほど自信がない、一人になると突然号泣してしまう、強い疲労感で本当にやりたいことができない、といった苦しみは、現代でも抱えている人は少なくないでしょう。

クレアはホーナイ の精神分析を一年半受けたあと、3年間自己分析(途中中断もしながら)を続け、その後数回精神分析をして、自分を解放しました。

では、クレアがどんな女性で、どんな分析に至ったのか、述べていきましょう。

 

クレアの場合


クレアは、30歳のとき、仕事や人づきあいに手がつけられないほどの疲労感に悩まされ、ホーナイ を訪ねました。
クレアは、雑誌の編集者で実績は申し分ないものの、心のうちでは小説や戯曲を書きたいと願っていました。

分析の初期の段階では、クレアは大事な場面になると、黙ってしまうことが多く、ホーナイは、彼女を励ます時間が長かったようです。
そうした日々のなか、次第にクレアは自分の話をするようになっていきます。

 

クレアの子ども時代


彼女には、苦い子ども時代がありました。
母親から気にかけてもらえず、いつも兄と比べられ、母から愛されていない父を見て育ちました。
その結果、彼女は自信を伸ばす機会に恵まれませんでした。

魅力的で常におだてられる母にクレアは苦情や不平をもらさず、母への反抗心があることを隠し、周囲と一緒に母をおだてるようになります。

しかし、この習慣のせいで、クレアには自分の感情に背く癖がついてしまいます。
彼女は、愛情欲求や他の欲求を追求する能力を失い、自分の願望や欲求を強迫的なまでに抑えるようになります。

自分のことは気にかけず、頼れる相手に服従的であろうとします。それだけでなく、彼女の自信の無さは、謙遜とは逆の性質も引き出します。

自分の自信を回復させるために、他人に勝とうとする強迫感も持つようになるのです。

彼女はこうした矛盾した複数の神経症を持っていました。
そのことに、ホーナイは徐々に気がつきますが、分析者は患者の抱える問題を通常すぐには明かしません。
患者が問題を受け止められる精神力を持てるまで、辛抱強く待ちます。

ホーナイは、クレアへの傾聴を続けます。

 

ある発見


あるとき、クレアは仕事で自分の案が同僚より優れていると気がつきつつも、自分の提案が認められる寸前に、ごまかしようのない恐怖を感じ、会議室から出てしまった経験をホーナイ に話します。

クレアは会議室から出たものの、彼女の案は採用され、クレアは結果的にとても喜びました。このときは、彼女がまだ恐怖という危険から脱し得たという感覚しかなかったのですが、ホーナイ は彼女が勝利を感じていることをさりげなく示唆します。

しかし、クレアは認めません。

それでも、ここから彼女は少しずつ変わってきました。

彼女は学生のころ、自信がないという理由から、勉強をもっと頑張れなかったことを思い出します。

しかし、勉強を思うように頑張れなかったのは、自信がないという理由だけではなく、実は「人に勝ちたい欲求が強すぎて目標通りの点数が取れなかったときに落胆したくない」という恐れがあったからだと、発見していきます。

クレアは、自分には野心があったことを、初めて気がつくのです。
何しろ、彼女は自分に自信がなく、たいてい相手が正しいと思って、自分の意見を突き通すことをほとんどしなかった女性なので、これは画期的な発見でした。

彼女の自信のなさは、死別した最初の夫が浮気をしたときも、相手の女性が魅力的だったから仕方がない、と納得してしまうほどでした。

クレアは、低い地位に甘んじながらも人に対する征服欲との葛藤、また人より抜きん出たい野心との葛藤をつねに抱えていました。

その欲望の衝突は、彼女をつねに疲れさせ、仕事へのやる気、またもっと深い創作意欲を失わせる原因になっていたと、クレアは認識していきます。

 

精神分析の中断


こうして、彼女は自分の神経症を知ることで、少し症状が和らぎました。
クレアはここで、いったんホーナイの元へ通うのをやめています。

ホーナイ曰く、クレアのように分析を途中でやめてしまう患者は少なくないそうです。

しかし、症状が和らいだあと、たいていの患者は次の葛藤に直面します。
神経症の原因は本人の性格に広範囲に影響を及ぼしているので、原因がわかったあとは、患者は性格の改善に取り組む必要があるのです。
また、神経症の原因はたいてい一つではなく、他の神経症とも繋がっていることも多く、それらについても分析を続けていく必要があります。
しかし、この”継続”という困難さから、無意識的なのか意識的なのか、逃れようとする患者が多いとホーナイはいいます。

詳細は書かれていませんが、クレアも、自身の神経症の特徴や隠していた欲求がわかったところで、疲れてしまったのでしょうか。
しかし、そのあとも彼女の精神生活は安定するわけではなく、疲労は相変わらず続き、苦しい恋愛問題も抱えていました。

クレアはある朝をきっかけに、自己分析を始めます。
そして、ホーナイに相談しながら、徐々に自己分析を再開しました。

では、クレアの恋愛問題とそれから派生した自己分析について述べていきます。

 

クレアの恋愛問題

ある朝、クレアはぱっと目を覚まします。
すると、彼女の編集する雑誌の締め切り日までに送るといっていたにも関わらず、送ってくれなかった作家にたいし、激しい怒りを感じます。
どうにか、その怒りを沈めたあとに、クレアは
「どうして、こんなに怒る必要があったのだろう」
と、自分でも不思議になり彼女の自由連想が始まります。

そこで、いつも約束を守らない恋人ピーターが、先週末も約束を守らず会えなかったことを思い出しました。
クレアは、彼のためにわざわざ予定を空けていたのに、彼と会えなかったので、仕方なく一人で映画を見て過ごしたのです。
ピーターの約束破りはよくあることで、彼は先のデートを予約することも、いつも避ける男性でした。
だから、クレアはピーターにたいし、いつも不安を抱えていたのです。

「彼に会えなかった失意落胆が怒りの原因だったのかしら……」
クレアはそう考えていると、今度は別のことを思い出します。

それは、クレアの女性の友人が以前高熱を出し、熱が下がった途端、なぜか恋人への思いも消え彼の反対を押し切って、そのまま別れてしまったことです。

また、別の連想では、クレアが以前読んだある小説のひと場面も思い出します。
小説では、ある男が戦場から帰還しますが、妻は夫に関心を失っていました。妻からすると、自分の体が欲しいがために愛を求める男にしか夫が見えず、彼女の心を見ようとしない夫に愛想が尽きたーという話でした。
クレアは、連想した二つの話を頭に浮かべると、
「もしかして私はピーターと別れたがっているのかしら」
と、気がつきます。

しかし、彼女は彼を愛していたので「別れるなんて、とんでもない」と自問自答しました。
そして、例の作家への怒りは、実はピーターへの怒りだったと解釈しましたが、「この怒りは一時的に過ぎない」と、自分の気づきを軽く一蹴します。

ここで、ホーナイの解釈です。
ホーナイによると、クレアの自由連想はとても面白いものを物語っています。
というのも、クレアの友人も、小説も、どちらも男性は女性を求めているのに、女性の方が冷めてしまっている点です。
しかし、この両場面を連想した当の本人クレアは、ピーターと別れることができない弱い女性です。
彼女は心のどこかで、ピーターが自分を愛していないこと、少なくとも大事に扱ってくれないことはわかっていました。
彼がその気になればクレアと別れるだろう、ということに、気づいていたのです。

クレアは彼のそんな態度に傷つきながらも、別れられない日々に苦しめられています。

だからこそ、男を振る立場にある連想が、彼女の本心を浮き立たせます。
つまり、「もうピーターから自由になりたい。彼をふることで、復讐したい」という意欲だったのです。

しかし、クレアはこれは一時的な怒りだと考え直し、本心を追求することをやめてしまいました。
「せっかく、映画を見て気分転換をしたのに」
と思ったし、
「ピーターに約束を破られて、本当は凄くがっかりしたなんて思い知りたくない」
と、感じたからです。

これは、クレアの特徴でもありました。
彼女はいつも自分のために怒ることができず、別のことに転換してしまいます。

仕事を守らない作家への怒り、という編集者としての立場なら感情を味わえるのでしょう。
しかし、人を振り回す恋人へ怒るひとりの女性、という立場には我慢できなかったのです。

印象的な夢をよみとく

クレアはある夢を見ます。
それは、知らない外国で道に迷ってしまった夢でした。
彼女は、はっきりと「自分は迷子である」と認識します。

すると、駅に預けていた手荷物に、あり金を全部置いてきたことを思い出します。
しかし、そのまま博覧会へ行くと、賭博場と奇妙な人形を見ます。
その後、回転木馬に乗ると、木馬は猛スピードで回転し始め、クレアは馬から降りることができず、諦めと不安が入り混じった感情で目を覚ましました。

この“迷子のような感情”は、彼女がピーターと会えず、仕方なく行った映画館の帰りにも味わった感情だと、クレアは気がつきます。
そして、夢に出てくる賭博場は、騙し合いであり、騙し合い=恋愛と連想しました。もちろん、約束をよく破るピーターとの恋愛のことです。
すると、奇形人形はピーターのことだと理解します。

ホーナイなら、夢のなかでお金を駅に預けている点について、駅=ピーターと解釈します。
彼に全てをつぎ込んでしまったというクレアの隠れた感情を見抜きますが、クレア自身は、その点について気がつきません。
しかし、ホーナイ はここで大事な点は、“迷子のような気分”であることに彼女が気がついたことです。

怒りや迷子のような気分、といった情緒体験は、クレアのなかに残り続け、さらなる自己分析を引き出していくのです。

 

保護されたい欲求

クレアは、いつも通り、自分が臆病のせいだと思い込むことで、ピーターへの怒りは一時的なものとひとり納得します。
気分を変えて、ピーターと再び約束をして会いますが、彼は遅刻してきたばかりか不機嫌な態度でした。
彼女は彼の態度に落胆すると、ピーターはクレアの態度にすばやく気づき、攻撃的な態度で聞いてきます。
「この前、会えなかったことを怒っているのか」
クレアは弱々しく否定しましたが、ピーターがさらに強く尋ねてきたので、腹を立てたことを正直に伝えました。しかし、映画を見て気を紛らわしたことは黙っていました。
ピーターは、「君は子供っぽくて自分のことしか考えてないね」というと、クレアはとてもみじめな気分になりました。

それから数日後、彼女は不思議な夢と白昼夢を見ます。
それは、溺死しようとしている彼女を男性が救ってくれた夢でした。

一方、白昼夢では、無垢な少女であるクレアに、知恵と財産を持ったある偉人が彼女に近づき、彼女の成長のために彼の全時間と全精力を捧げた夢でした。

クレアは、この二つの夢について考え、二つとも、男が救世主として現れれていることに気がつきます。
「自分が熱望していたのは『愛』だけではなく『保護』なんだわ」

クレアはピーターだけでなく、これまでも男性にたいして多大な期待を常に持っていたことに、気がつきます。
彼女がピーターを愛するのは、彼が彼女を励ましてくれることが多々あること、助言を与えてくれる力があることでした。

クレアはホーナイに相談します。
ホーナイは、彼女の男性にたいする依存性について語り、彼女が

・自分は誰かの攻撃に合えば、男性に救ってほしい
・また自分が苦しくなってくると決まって、愛または結婚への憧れが強まること

について、話し合います。
クレアも、その通りだと気がついていきます。

また、問題はそれだけでなく、彼女の保護されたい欲求は人に打ち勝ちたい欲求とも絡まり、心の中では「あわよくば、自分は手をこまねいたまま、横から私の夢を叶えてくれる男がそばに欲しい」という依存心もありました。

このように、自己分析やそれにともなう情緒体験によって、少しずつ彼女は自分のことがわかっていきます。

最初は、ピーターに依存していたクレアでしたが、だんだんと自分の依存性を理解するようになり、彼が愛に値しない男だということも、理解していきます。
とはいえ、すぐにピーターとは別れられないクレアです。
ピーターとの苦しい交際は続きます。

クレアの幼い依存性に嫌気がさしたピーターは、さらに彼女を辛辣に扱うようになります。
そして、クレアから逃げるように新しい恋人を作り、クレアから去っていきます。

ピーターが自分と別れたがっていることに気づいていたクレアでしたが、大きなショックを受けます。しかし、自己洞察を進めていたクレアは、最終的には別れを受け入れます。

クレアは、自分を支配していた「誰かと一体になりたい」願望が消え(ついでに、ピーターがつまらない男だったことも認め)、精神的に自立します。

ホーナイ曰く、以前の彼女だったら、ピーターとの別れは堪え難いものだっただろう、と言います。
自己分析をしていくことで、彼女は心を強くしていたのです。

クレアは自身の依存性を克服し、彼女はピーターと別れても、すぐに別の男を作ろうとはせず、孤独に耐えます。
そのあいだに、彼女は念願だった創作活動を始めるのです。

のちに彼女は小説家となりました。

 

クレアの事例から学べるもの


はたから見てどう見ても長続きしなそうなカップルが、やっと別れた、というごくありふれた話でもあります。

しかし、クレアを見ていると、目の前にあるヒントに目を向けず、自身や相手の本心をなかなか見ようとしないことがわかります。

それでも時間をかけ、自分のふとした感情から、とりとめのない連想をし、連想の意味を突き詰めて考えていくことで、彼女は子どもの頃から身につけた相手の期待に応える立ち振る舞いや、ピーターへの依存に気がついていきます。

恋愛や人生で成長するためには、相手の本心だけでなく、自分の本心を知ることが必要です。

相手が本音をいっさい言わない人である場合は多々あります。しかし、自分の本音なら自分で探ることができます。
村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』では、主人公が失踪した妻を見つけることはできません。妻と本当に繋がるために、彼は枯れた井戸の底に降り、自分を見つめます。

『ねじまき〜』と同じように、自分の正体が分からなければ、適切に相手と繋がることはできない。
歪んだ依存性を持つクレアが、結婚も恋愛もうまくいかないのは当たり前だったのです。
ですが、彼女は克服しました。

クレアの苦しみや夢の解釈のしかた、自由連想のしかたは、自己分析に関心のある方には、とてもよい例かと思います。

つづく。。

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