2人の女性賢人と出会って

※こちらは『カレン・ホーナイ著『自己分析』の要約』のつづきです。

前回の記事では、著名な精神科医カレン・ホーナイの『自己分析』を紹介しました。
特に本書で詳しく書かれていた女性患者クレアの自己分析内容は、私もなるべく丁寧に書いたつもりです。

新しいことを挑戦するときって、ハウツーも参考になるけど、実例も役に立ちます。

「自己分析って何?」
「感情や頭のなかで見る景色を連想して、自分を理解するってどういうこと?」

自己分析は、こころという抽象を扱うからこそ、ハウツーだけでなく実例も知った方が「そういうことか」って腑に落ちやすくなるかと思います。
彼女を真似するように、自己分析に取り組むことができるかと思うので、クレアの実例を詳しく載せました。お役に立てば、よいのですが。。

クレアが悩んでいる自信のなさ、矛盾した複数の願望、それを隠したい欲求、それゆえパートナーとうまくいかないといった事情は、私個人も共感しました。
彼女と似ている点がいくつかあったので、事例を読んではっと我に返ることができましたね。

 

目次

自由連想の難しさ


自己分析をするうえで、「自由連想」という手順は不可欠です。
自由連想とは、自分の感情にふと気がついて、そこからいろんな心象風景をとりとめなく連想していくのですが、これがなかなか難しい。

クレアは、ある朝仕事の取引先に急に怒りを感じて、彼女なりに正当な怒りではあるものの、「なんでこんなに怒るんだろう?」と気にし始めます。
そこから、友人の別れ話や以前読んだ小説で妻が夫を捨てるシーンを思い浮かべて、実はクレアも恋人と別れたい願望に気がつくのですが、なかなかこんな風に連想ってうまくいかないな、、と思います。

よくあるのが→①自分の感情にモヤモヤし②いつ間にかいつも考えていることをメリーゴーランドみたいにぐるぐる考え③終わり、という流れです。

そんな羽目に陥っていた自分が、どうやって川が流れるように、空想を頭のなかで次々と生み出し、それを眺めていけばよいのか⁈

そう疑問に感じていたところ、偶然にもある作家の本を味方につけました。

ホーナイ の『自己分析』を読んでいた時期、ちょうどヴァージニア・ウルフの随筆『自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー831)』も読んでいたのです。
ウルフの泉のように湧き出る空想や連想に、本一冊分読者として付き合った結果、彼女の考え方が乗り移ったように、私も連想が難なくできるようになったのです。

本を読むと、作者の考え方に影響されることってありますよね。
読み終わって、気がついたら本の作者のように考えているって経験はだれにでもあると思うんです。
それが『自分ひとりの部屋』を読んだ私にも起こりました。

 

ヴァージニア・ウルフの意識の流れ


ヴァージニア・ウルフ

ヴァージニア・ウルフについて簡単に説明すると、彼女は20世紀を代表するイギリスの作家。
ウルフの作品の代名詞ともいわれる「意識の流れ」は、ウルフ作品の特徴であります。主人公の数々の連想が作中描かれ、さらに主人公だけでなく出てくる登場人物の心の声や心象まで、あれよあれよと流れるように出てきて、互いの心の声が錯綜し物語が進むのが、彼女の作品スタイルです。有名な作品では『ダロウェイ夫人』があります。

私はウルフの小説はまだ読み通せていませんが、彼女が書いた随筆『自分ひとりの部屋』はお気に入り。
ウルフが描くとりとめのない考えの連続は、ちょうど自己分析で使われる自由連想に似ていたのです

というのも、ホーナイが書いたクレアの自己分析は、「読者にわかりやすく自己分析を知ってもらいたい」というホーナイ の願いがあるからか、どこか理路整然と書かれています。
「こんなにうまくいくかなあ」と気がしてならない。

例えば、クレアが自分の思いついた自分の本音を受け入れられず、頭のなかで振り払い、眠りにつく場面があります。
すると、彼女のこころに訴えかける夢が出てきて、彼女がもう自身の本心を否定し難くなり、ついに本音を受け入れるのですが、読む側は「こんな絶妙なタイミングでうまく夢を見れないし、気がつかないでしょ!」ってツッコミを入れたくなるのです。

でも、確かに神経が高ぶっているときって印象的な夢を見ることが多くなる。
それは分かります。

「どうにかして、ここから抜け出したい!」みたいな緊張感があると、確かに変な夢を見たり、はっと思い出したりするので、夢を見る力とか、思い出したりする力、はたまた連想する力というのも、意識して身につけようと思えば身につくのかもしれません。

だから、ウルフが描く「とりとめもない連想」スタイルが、空想したり思いだしたり、印象的な夢を見る力を身につける助けになるとも思います。

正直、ウルフの作品も、結構読みづらい。
彼女は夫婦で出版社を作っていて、第三者の商業的な?編集者がいなかったのか、かなり表現がやりたい放題な感じ。

だからこそ、とりとめのない連想がボリュームたっぷりに描けるのかもしれません。
もちろん、作家としてどんな空想を取り扱って作中に書くか、ウルフも選んでいるだろうけど「この空想っているの?」みたいな場面もいっぱい出てくる。

でも自由連想を身につけたいものにとっては「あ、こんなことまで考えていいんだ」と、かなり参考になるのです。

また、ウルフの考え方って、まるで少女漫画の主人公のような妄想が出てくるので、女性にとっては親しみやすい。
現代の男性も、女性の考え方を実際の女性たちや少女漫画などを通して知っている人が多いだろうから、あまり違和感なく読めるんじゃないかな、と思います。

例えば、『自分ひとりの部屋』第2章で主人公(というかウルフの分身である主人公)が「どうして歴史上、女性の芸術家は男性に比べて極端に少ないのか?」といったテーマについて考えるシーンがあります。

彼女は、女性について書かれた書物がどれくらいあるか、確かめようと思い立ち大英博物館に行きます。

そして、とりあえず女性の書物の題名をノートに書き写していきます。
椅子に座って、メモをじっと見ていると「なぜ、女性は男性より貧しいの?」と、サブテーマを思いつきます。

それから「そういえば、この前、女性がいかに劣っているか、と主張した教授の本があったわね」と思い出すと、だんだんイライラが募って、その教授の顔を想像でノートに描き始めていきます。

「きっとこんな顔で、女性に好かれない男だわ。奥さんは将校と浮気しているだろうな。将校はすらっとした体格で、赤い帽子が似合うはず。教授は子どものころ、醜かったから人に笑われたに違いない」
などと、ノートに書きたぐります。

はっと我に返り、隣にいる男性のノートを横目で見ると、彼のノートは、理路整然と書かれていることに気がつきます。一方、主人公のノートはメモでぐちゃぐちゃ、男性とは対照的です。
「あー、私ってどうしてこうなのかしら。男性のようには考えられないわ」

そう思いながら振り返って、再び教授にたいする怒りを感じていたら、教授の怒りが突然彼女に憑依(?)して「彼の怒りが女性への憎しみに繋がっていたのだ!」という発見をする。

。。。。

こんな感じで、あれこれ考えをめぐらし、ときに閃いていきます。
他にも、ウルフ(の分身)は、女性が書いた書物を見つけ、その女性作者に空想のなかで話しかけます。
「あなたは、どうしてジェイン・オースティン(イギリスの大御所女性作家)みたいに書けないの?どうして男性の真似をするの?」
と、空想力を使って、頭のなかで議論をし「女性が芸術を極めるためには、何が必要だろう?」と、考えていくのです。

そして、結果的に女性がいかに歴史上、男性から芸術を遠ざけられていたかを調べあげていきます。

「だからこそ、女性は芸術に携わって、女性の考え方や感じ方を世界に普及していく必要があるわ。そのためには、ひとりの部屋が必要。だって、女性は忙しすぎるから。忙しいというのは、何より想像力をすり減らす。だから、ひとりの部屋と芸術に集中できるお金を手に入れないといけないわ」と、結論を出します。

 

ウルフは、いったりきたり、あっちこっち連想を繰り返してるのに、結果的に結論にたどり着いているのが不思議です。

ぐるぐる回るメリーゴーランドと違って、川が流れるように考えるからでしょうか。

空想や連想を自分のなかから生み出しきると人は満足して、少し客観的な視点へ移行できるのかもしれません。

私自身といえば、自由連想で色々過去を振り返ってみると「何かを考えたり感じたりしたとき、同時に違う別のことを考えたり感じたりしたことが多いなあ」と、気がつきました。
Aを考えながら、同時にA’、さらにはA”、ましてやBまで考えているということです。
つまり、思考も感情も多層的という感じ。
別に、私に限らず他の人も同じではないかと思います。

だから、表に現れた思考や感情だけでなく、裏に潜む感情や思考に気づくと、実はそっちの方が自分のベースの感情となっていて、自分が感じる何かを覆っていたり、決定するきっかけとなっていたり、次の感情を呼び起こしたりしている場合があるのです。

表の感情と裏の感情とで、真逆の矛盾を抱えているのに、なぜか自然と自分のなかでうまく処理をして、矛盾を整理していたこともあるんですよね。
それが普段の生活でとりとめのないことならよいのだけれど、何か大きなことを決定するときや、誰かとの大事な会話のときに、裏の感情や思考をないがしろにしたまま、結果的に自分にとって好ましくない方へ発展していく、ということが私自身にはよくあったのです。

ですから、軽んじて扱った過去の感情や思考に悩まされる羽目に陥っていました。

こんな簡単な発見ですが、自分の癖に気がついていくと、色々好転していきます。
夫にも本音が言えるので「彼が私を理解してくれない」といった思い込み(だって、本音を伝えていないのだから、夫は理解しようがありません)も減っていきます。

 

2人の女性賢人から学んだこと


カレン・ホーナイ

たいしたことじゃない癖も、積もり積もれば、自分の首を絞める癖になります。
それを少しずつ解いていくと、煩わしい感情も減り、自分が本当にやりたいことに集中できていきます。
もちろん、以前の自分がすぐにニョキニョキ現れるので、そこから脱する努力は日々必要ですが、自分という生き物をよく知るきっかけになったと思えば「まあ、いいか」と思えるものです。
それに、こういう機会がなければホーナイやウルフといった賢人の書物を読むこともありません。

ホーナイもウルフも、フェミニスト。
もちろん、現代にもフェミニストはいっぱいいます。

ホーナイ は19世紀に生きた人だし、ウルフは20世紀。フェミニストな彼女たちでも今ではもう古い価値観を持っています。
でも、昔の人だろうと現代の人だろうと、自分自身が色々動いた結果、相手の言葉が強く響いたなら、時空を超えて、彼女たちをとても身近に感じます。

それに、考えを変えるときや新しい考え方を身につける瞬間というのは、ある程度人生のなかで限られている。

貴重なチャンスだからこそ、深く噛みしめないとって思い、よけい彼女たちのことを考えるのです。

ホーナイ からは、自分を分析する力を学びました。
「もし、あなたが人生の苦難や喜びを味方につけ、真実を見たいのであれば、自分も相手もよく観察しないといけないわ」
そう彼女は言います。
女性に精神的自立を促す、ホーナイ の主張です。

ウルフからは、妄想力を使って少女漫画の主人公みたいに、いったりきたり、ときにはテンション高く感情的に考えるのも悪くない、ということを学びました。
理路整然と考えなくても、テーマを持ち続けていれば、歴史や芸術など大きなテーマも扱えます。
「女性はいつでも表現することを意識するべき。それがどんな形であれ」
ウルフは、そう言います。

両者とも答えがすぐに出るような思考の仕方ではないし、人に理解されやすいものでもない。でも自己分析がきっかけとなって、私は思索を楽しめるようになりました。

思索に励むと、なぜか頭のなかがシンプルになります。
自分が主体となるからでしょうか。
たいしたことを考えていなくても考えているなりに、いままで読めなかった本も理解できるようになります。考える力がつくからですかね。それがとても楽しい。

でも、社会との繋がりは希薄なままだから、考えているだけというのも、寂しくなってくる。

だからウルフの「なるべく女性は芸術に関わるように」という教えを弟子のように受け継ごうと思い、私も久しぶりに小説を書き始めました。
ちょうど「また小説を書きたいな」と思い始めた時期だったので、背中を押された気分でした。

自己分析は「たとえコロナ禍でも、想像力を鍛えて色々な世界に行ってみるぞ!」と思わせてくれるきっかけになりました。

ホーナイもウルフもありがとう。
21世紀に生きる私ですが、あなたたちからとても大きな力をもらいました。

おわり

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