私の体験。自己分析をカウンセリング療法に生かすために

※この記事は、「カウンセリング療法の鍵?自己分析の方法について」のつづきです。

 

この記事では、私の体験を書いています。

私にはカウンセリング体験が2クールあり、自己分析も2回機会を持ちました。

今回は、6〜7年前(当時33〜34歳)に起きた最初の自己分析体験を綴ろうと思います。
そのころは、自己分析という言葉も知らなかったし、心理学者ホーナイの『自己分析』も知りませんでした。

しかし今から思えば、自分なりに自己分析をし、カウンセリング治療にも活かしていたと思います。

 

目次

私の体験。自己分析をカウンセリング療法に生かすために

7年前、私はうつ症状に悩まされていました。
居ても立っても居られず、ネットで見つけた池袋のカウンセリングセンターを訪ねました。

カウンセラーさんは、私の話を聞いたうえで、「あなたはもうぎりぎりの状態。ここに通うのではなく、今すぐ病院へ行きなさい」と言い、最終的に父の研究で知りあいの医師がいる、東京の精神科病院へ行くことになりました。

そこで私の治療は、精神科の担当医がついたものの、臨床心理士のカウンセリングを中心とする治療となりました。

当初、私がカウンセリングに求めていたものは、

「とにかく誰かに自分の話を聞いてほしい」

「分かってほしい」

というものでした。

実際、話してみると、臨床心理士の先生は、私の話を熱心に聞いてくれ、私の考えや行動したことを否定することがありません。

「大変でしたね」

「よく頑張ってきましたね」

そういった優しい声をかけてくれます。
共感してくれる人がいると、悩みで頭がいっぱいいっぱいの状態から、だんだんと心に余裕が生まれてきます。

時折、急に不安に襲われることはあっても、誰かにわかってもらうことの効果は強いものです。
時間が経つにれて、症状も少しずつ落ち着ついていきました。

カウンセリング療法とは、基本的に「生活に支障が出なくなる状態」を目指します。

治療の回を重ねると、先生は「以前より良くなりましたね」と言い、確かに同じ実感が私にもありました。

しかし、こちらとしては気分の上がり下がりは続いているし、時折感じる生きづらさは、まだまだつらいものがあります。

私としては、もっと良くなりたい。

「ずっとこんな気分に振り回されてる人生なんだろうか。そんな人生しか、私にはないのだろうか」

そう考えるようになりました。

それに、先生と会って「何かありましたか?」と聞かれたところで、仕事と子育てを頑張ったこと以外は特になく、何か心にあることといったら、うつ病のきっかけとなった問題のことだけです。

でも、同じことを繰り返し話しても、さすがに自分でも飽きてきます。

話しながら「ああ、前にも似たような話をしたのに。この時間もったいない」と思いました。
口に出してそう思うと、普段の自分は、同じことばかり考えていることに気がつきます。

「あんなことが起きたのは〇〇のせいだ」
「私がこんな状態になったのに、誰も責任をとってくれない」

など、同じことをぐるぐると考えているだけなのです。

頭のなかでは、平気で同じことを考え続けているのに、口にすると、実にバカバカしく感じました。

「普段私が考えていることって何なんだろう。全然建設的じゃない」

そのうえ、せっかちな私は、同じ悩みを一年近く抱えている自分にイラだつようになりました。

「こんなことしている場合じゃないんだ。息子(当時1〜2歳)が私の状態に気がつく前に、いい加減何とかしなきゃ」

私は“新しい自分になること”、“病気ではない自分”を目指し、まずは自分の考えを整理することにしました。

当時のカウンセリングは2週間〜3週間に一度の頻度でした。
当たり前ですが、カウンセリングを受けていない時間の方が、膨大にあります。

カウンセリングの時間だけではなく、それ以外の時間でも、私は自分の考えを言葉で表現しようと思いました。

考えを表現すれば、表現できたことに満足し、「もうこれはここで終了」と、過去のものと認められるのではないか。
過去を過去のものとしたら、思考が前に進むのでは、と考えたのです。

私はエッセイを書くことにしました。
すでに日記は書いていましたが、日記は誰かに見せる前提では書きません。

私は、人が読んでもおかしくないようなレベルのものを書こう、と思いました。

“作品作り”にこだわった方が、書く私自身も楽しめるだろうし、達成感もあると思ったからです。

「エッセイなら私が抱えている問題だけじゃなく、普段感じた何気ないことも書いてみよう」と思い、過去に起きたことだけでなく、その日見た月から連想した空想の作り話といった、とりとめのないものまで書いていきました。
とにかく頭に浮かんだことも含めて書きました。

人が読んでもおかしくないレベルにするには、書いて終わり、ではなく何度も修正する必要があります。

私は1作書き上げたら、それを3週間ぐらい毎日書き直しました。
毎日書き直していくと、何気なく書いた言葉の意味を、自分でも深く考えるようになります。
「本当は、こう感じたはず。ここは書き直そう」といったように、だんだん、自分がどんな風に感じたのか、自分の考え方とかが、客観的に見えてくるようになったのです。

さらに、「私はこう思ってああ言ったけど、相手はどんな気持ちで私の言葉を受け取ったんだろう」と考えるようになり、同じ場面でも多面的に考えるようになりました。

私は臨床心理士の先生に、エッセイの内容を話すことにしました。

私の先生のカウンセリングスタイルは、私の話したことを、先生が最後にまとめ、それがどういった意味合いを持つのか、私に問いかけてくれます。

その問いかけに、「そのとおりだな」と思ったり「そうかなあ」と思ったりするのですが、私は自分の感じたことを「何で、私はそう感じたんだろう?」と自身に問いかけ思考を深めるようにしました。

そうして、私はうつ病のきっかけとなった問題とは別に、私には自分の人生を楽しもうとしない癖というか態度が強いことがわかりました。
楽しいことよりも、正しいことや必要なことをしなくてはいけない、そうするべき、という考えが強かったのです。

だから、もっと自分が楽しいと思うことをやってみよう、という気になりました。
抱えている問題は何も解決していなくても、人生が前に進む予感がしました。

思い起こせば、カウンセリングの2回目ごろに、心理テストの結果を見た先生から「あい子さんは、〜するべきって、“べき”という言葉というか考えが強いですね」と言われたことを思い出しました。

でもその頃の私は頭がいっぱいいっぱいの状態だったので「そうですね……」と同意はしても、本当には理解していませんでした。
言われた言葉をそのまま意識の彼方へ飛ばし、振り返ることもありませんでした。

そうして同じ結論にたどり着くまで、何ヶ月もかかってしまいました。
しかし、人が本当に理解するには、自分で答えを見つける必要があるのかもしれません。

前述したとおりこの話は、6〜7年前で、その頃の私は「自己分析」という言葉も知りませんでした。
しかし、今思えば自然と自己分析へと進んでいったのだと思います。

それから、私のメンタル症状は劇的によくなり、半年後には先生から「もう来なくても大丈夫ですよ。でも、あい子さんが来たいなら続けても構いません。どうしますか?」と聞かれるほどになりました。

私はそこで治療をやめました。
先生との対話は貴重なものでしたが、カウンセリング療法は決して安くはなかったからです。

そのころは、事情を知っている上司からも、「最近、すごく表情が良くなったね。もう治ったんじゃない?」と言ってくれたので、周囲から見ても私は良くなっていたのだと思います。

こういった体験から、カウンセリングの治療は、「私の話を聞いてほしい」という態度から、「自己洞察の訓練」へと、カウンセリングの意味を変えることも必要なのではと個人的に思っています。

カウンセラーを「ただ、私の話を分かってくれる人」や「愚痴を言う相手」として扱う限り、本人が抱えている問題が、本当に解決していくことは難しいと思います。

自分と向き合い、深堀りしたことをカウンセリングで話していったり、癖の気づきに間違いがないか、カウンセラーに確認する方が、問題の本質的な解決に近づくと体験から感じました。

ただカウンセラーは、こちらの気づき方が仮にずれていても、よほどの内容でないかぎり「間違っていますよ」とは言わないかもしれません。

でも、カウンセラーの表情などを見て、

「自分の気づきは間違っていたかな。別の気づき方があったのかな」

「同感してもらえない感じだけど、自分は間違っていないと思う。なんで私はそう思うんだろう」

と、更に自己分析を深めるきっかけにしてもよいと思います。

私は6年前に治療をやめて、そこからしばらく元気に過ごせました。

しかし、私の場合は、まだ自己分析が足りていなかったと思います。
このときの洞察は、その時の私ができる精一杯のレベルでした。
でも実はまだ抱えている癖があり、それは6年後、またメンタル症状として現れるはめになります。

ちょうどその頃、心理学に興味を持ち、大学で学び始めていました。大学の教科書に参考文献として載っていたホーナイの『自己分析』を知り、臨床心理士(6年前と同じ先生)に自己分析について尋ねたり自分でも自己分析をしたりして、2回目は比較的早く症状が落ち着いてきました。
そのことについては、また別の機会に書こうと思います。

 

治療は能動的に行っていい

カウンセリングは、患者とカウンセラーの共同作業です。
というか、治療は基本的に共同作業だと思います。

風邪をひいたときでも、どんな症状があるか、患者は積極的に伝える必要があるし、アレルギーのある薬や、以前飲んで効果が感じられなかった薬が処方されそうな場合は、「別の薬に変えて欲しい」と患者が意思を伝えます。

カウンセリング治療も同じように、一方的に治療者が治してくれるものではなく、一緒に快方へ向かって行う作業だと思います。
占いのように、相手から真実(っぽい)を教えてくれる、自分のだめなところを指摘してくれるわけではありません。

なぜそんな話をするかというと、数年前再会した友人がきっかけでそう思うようになりました。
15年振りに再会した友人は、父親を病気で亡くしていました。

彼女の父が生前入院していたころ、友人は仕事が忙しく、思うように看病できなかったそうです。父に十分寄り添えなかったという後悔もあり、落ち込みから回復できずにカウンセリングに通っていました。

友人は、通っているカウンセリングに疑問を感じていたのか、私にこんな話をしました。

「カウンセラーの先生はただ話を聞くだけで、カウンセリングに効果を感じることがないんだよね。自分でも話すことが特にないし、何となく毎回通ってるんだけど、本当にこれ意味あるのかなって思っちゃう。でも、やめる自信はないんだ」

「そうなの。いつもどんな話をしているの?」

「どうですか?って聞かれて、最近あったことを話すだけなんだけどね。どうですかって聞かれても特段毎日何かあるわけでもないし、話すことがなくて、毎回困ってるんだよね」

この友人は、頭も良く、話すと面白い人なのですが、相手によっては話し下手なところがあります。そこで私は、

「じゃあ、カウンセラーさんを変えてもらうように頼んでみたら?」

と、提案してみました。

「そこは、その先生しかいないんだよ」

「もしよかったら、私が行っていた病院を紹介しようか?大きな病院だから、カウンセラーも何人もいるし、あなたに合ったカウンセラーを当ててくれると思う。もし合わなかったら変えてもらえるよう頼めるし。今行っているところがピンと来ないなら、セカンドオピニオンとして、他のところに行くのもいいかも」

私がそう勧めたところ、友人は乗り気になり、早速病院を紹介することになりました。
そして一ヶ月後「よかったよ。紹介してもらった病院に変えるね。ありがとう」と言ったので、彼女に合った病院が見つかったと感じ、嬉しく思いました。

確かにカウンセラーのカウンセリングスタイルも、それぞれだと思います。
それに相性もあります。

もし、自分が通っているカウンセリングが合わなかったら、変えるという方法もあるでしょう。

しかし、病院やカウンセラーを変えるのは、治療を一から始めることでもあるので、患者側にとっては負担もあります。自分の態度を変える、自己分析を自分で試して、カウンセラーに話してみる、といった行動から試してみるのも一つの手だと思います。

患者が病院を選びなおすという友人の事例と同じように、治療は患者が能動的に行った方が自分のためになると思います。

特に心の問題という、他人からは見えづらい問題については、腰を据え自分で自分を知っていく自己分析という作業をし、それをカウンセラーと話し合い、さらなる対話へと自分からアプローチすることが必要だと感じます。

 

自己分析で新しい自分になる


自己分析は難しく、カウンセラーとの共同作業が必要でもあります。
しかし自己分析を成し遂げると、「新しい自分」「今までとは違う自分」を見つけ、人生を前に進めることができるのです。

もし、カウンセリングに通っていても、メンタルの症状がなかなかよくならない、人生が行き詰まってしまってどうしたらいいか分からないと思っている方は、
カウンセリングを「自己分析の報告や確認をする場」と、とらえ自己分析にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

次回は、ホーナイの本について、触れようと思います。

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